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オールバニ(Albany)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州の州都であり、オールバニ郡の郡庁所在地でもある。州の東部、ハドソン川中流域に位置する。2008年の推計人口は9万3539人と微減が続いているが、オールバニ都市圏の人口は857,592人と州内で4番目、さらに広域都市圏での人口は1,151,653人とロチェスターを凌ぎ、州内3番目の規模となっており、自然と調和したダウンタウンが形成されている。 一世紀以上に亘り、高度教育の中心地として名を馳せており、また今日では政治と共に福祉医療の街としても注目が高い。これは1970年~80年にかけて産業の衰退、治安の悪化などで大幅に人口が減少した影響を大きく受けている。 == 歴史 == 1609年、オランダ東インド会社のイギリス人探検家ヘンリー・ハドソンが、ハーフムーン号でハドソン川を遡上し、この地に到達する。オランダは1614年に、原住民との間で皮革の交易を行う拠点としてフォート・ナッソー (Fort Nassau) をこの地に置いた。その後、ヨーロッパから移民団が渡り、1624年にニューネーデルラントで最初の永続的植民地フォート・オレンジ (Fort Orange) を建設する。1652年に、オランダ西インド会社はフォート・オレンジから発展した村落共同体の名をベヴェウィク (Beverwyck) とする。 1664年、オランダ領ニューネーデルラントは、イギリス領となる。それにあわせてオールバニに改称。これは、オールバニ公ジェームズ・ステュアート(後のジェームズ2世)に敬意を表して命名された。そして1686年、市制を施行。 1754年、北米の7つの英国植民地がフレンチ・インディアン戦争における対仏共同防衛協約を結ぶため、オールバニ会議が開催される。ベンジャミン・フランクリンが植民地の連合政府樹立(「オルバニー連合案」)を提案し、採択される。しかし、この連合案は本国からも各植民地からも拒絶され、発効しなかった。なお、この連合案は、後にアメリカ独立戦争前に開かれた大陸会議において、再び、持ち出されることになる。フレンチ・インディアン戦争中は、オールバニには英国植民地連合軍の総司令部が置かれた。 独立戦争においては、1777年に、カナダから南下しオールバニを目指していたイギリス本国軍を、オールバニの北方で大陸軍が迎え撃ち、激戦の末、撃退した。このサラトガの戦いが転機となり、独立戦争は最終局面に移行した。独立後、ニューヨーク州の州都は、オールバニから約80km下流にあるキングストンにあったが、1797年、オールバニが州都となる。 オールバニが飛躍的に発展するきっかけとなったのは、1825年のエリー運河開通であった。市の周辺で収穫される農産物を集積、輸送する拠点として、また、原料及び製品の輸送に便利なため、繊維、製紙、機械工業などが発達し、その他、印刷・出版業等も盛んになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オールバニ (ニューヨーク州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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